沿革

株式会社 パーツランドの沿革を語るとき、秋葉原ラジオストアーとの関わりを抜きにして語ることはできません。秋葉原ラジオストアーの歴史は、弊社の歴史でもあります。
また、秋葉原の街の歴史、ひいては、世相の動向も、弊社の沿革を理解する手助けとなると考え、秋葉原電気街振興会の提供する、秋葉原アーカイブスを大いに参考にさせていただき、一部、文章をそのまま転載させていただきました。転載を許可して頂いた秋葉原電気街振興会のご厚意に深謝いたします。

 昭和24(1949)年
弊社は、昭和21(1946)年、創立者、成田吉成が満洲国より帰国後、同士10名とともに秋葉原高架線下に秋葉原ラジオストアーとして営業を開始した事に始まる。
世相:GHQによる露店撤廃令(9月)により、露店撤廃を余儀なくされた露店商達がたどった道のりの詳細は『秋葉原ラジオストア60周年記念誌』から編集された、『秋葉原の歴史とともに歩んだ60年』、および、『秋葉原アーカイブス』に詳しく書かれている。
ラジオストアー設立後、ラジオセンター、東京ラジオデパート、ラジオガアデン、、秋葉原電波会館が開店した。
 昭和25(1950)年3月
株式会社秋葉原ラジオストアー設立登記。この後数年間に渡り、同士10名は、需要の高まりに対応する事業の拡大をめざし、それぞれ独立した会社として登記する
 昭和25(1950)年6月
   ~ 28(1953)年7月
世相:朝鮮動乱。隣国で起こった不幸な事変は、日本を軍需基地化し、物資/サービスとも莫大な特需を生み、輸出も急増した。産業界は息を吹き返し、秋葉原周辺の電気製品卸業、電気工事材料業も、在庫がたちまち値上がりし、あらゆる商品が高騰、場合によっては何倍にもなり、急激に活況を呈した
 昭和26(1951)年
世相:民放ラジオ局放送開始によるラジオ需要の拡大とラジオの組み立てブーム
 昭和28(1953)年
世相:テレビ放送の開始。三種の神器と言われたテレビと電気洗濯機がこの年に発売され「家電元年」と言われた
 昭和30(1955)年
世相:東京通信工業(現ソニー)がトランジスタラジオを発売
 昭和34(1959)年
世相:皇太子ご成婚
 昭和35(1960)年
世相:池田内閣による「所得倍増計画」発表(高度成長期への突入)
 昭和37(1962)年
世相:秋葉原初めての高層ビルとしてラジオ会館ビルが建設される(平成23(2011)年、建替えのため取り壊し)
 昭和39(1964)年
世相:東京オリンピック開催
 昭和40(1965)年4月
事業拡充のため、系列会社 株式会社成電社を設立 代表取締役 成田吉成
 昭和41(1966)年
世相:ビートルズ来日 「プレイボーイ」創刊 深夜放送全盛 NHKの朝の連続ドラマ「おはなはん」開始 クレージーキャッツの「シャボン玉ホリデー」 藤田まことの「てなもんや三度笠」 「鉄腕アトム」「オバケのQ太郎」などのアニメや「ウルトラマン」シリーズ等々テレビの人気番組が目白押し
 昭和43(1968)年
世相:GNPが資本主義国内で第二位
 昭和44(1969)年
世相:東大安田講堂事件
 昭和45(1970)年
世相:大阪万国博覧会の開催(高度成長期のピーク)
 昭和46(1971)年
世相:ニクソンショック(ドルの金兌換停止発表)
新宿副都心高層ビルの第一号、京王プラザホテルの完成
 昭和47(1972)年
世相:日本赤軍「浅間山荘事件」
 昭和48(1973)年
世相:都電が撤収され、歩行者天国が実施される
中東戦争を契機とするオイルショック(低成長時代への移行)
 昭和51(1976)年
世相:日本第一号のマイコンショップ「NEC Bit INN東京」がラジオ会館に開かれ、マイコンビジネスのさきがけとなった。また、同時期にジャンクショップも次々とオープンしたのもこの50年代であった
 昭和52(1977)年
世相:アメリカで8ビットパソコン・アップル・が発売され、インテルの8086など16ビットのマイクロプロセッサが登場(昭和54(1979)年前後で秋葉原でもコンピュータを扱うお店が増え始めた。トランジスタから、IC、LSIへと変化する中、秋葉原は電子部品の中枢としての顔も持ち始めた)
 昭和54(1979)年
世相:秋葉原の通りの美化・安全、町全体でのお客様へのサービスの改善、バッタ屋など不良店舗と優良小売店との差別化など、町全体の対策を期待し「秋葉原電気街振興会」が設立された
 昭和50(1980's)年代
 後半
世相:「Made in Japan」が品質の証の時代となり、日本へ観光・ビジネスで訪れる外国人は、お土産に日本の家電製品(ラジオ・ウォークマン・ステレオなど)を購入するために秋葉原で買い物するようになった。海外のお客様が増え、街が国際化するにつれて、外国人の店員さんも増え、様々な習慣の入りまじた不思議な街へと変化し始めたのはこの頃であった。
また、企業では、ワードプロセッサー、パーソナルコンピューターなどの導入が進み、エレクトロニクスに関する事業が発展し、産業構造は大きく変わりつつあった
関東近隣へ多くの家電チェーン店が出店。また、新宿・池袋・渋谷にカメラルートのディスカウントストアが台頭・濫立し、若者のファッションタウンの集客力を生かし急成長
 昭和57(1982)年
世相:CDが開発される。マルチメディアのさきがけ
 昭和59(1984)年
世相:アップル社マッキントッシュ発売
 昭和60(1985)年代
世相:秋葉原には、中央市場跡地の再開発と、JR敷地の再開発計画、そして常磐新線の始発駅として秋葉原駅の再開発と、街を大きく変容させるビックプロジェクトがめじろ押しであった
 平成1(1989)年
世相:「家電不況」に突入
 平成2(1990)年
世相:日本IBMが基本OSのDOS/Vを発表、マイクロソフト社はWindows3.0を発表し、現在のパソコンブームの下地ができあがる。「ラオックス・ザ・コンピュータ館」がオープン
 平成5(1993)年
世相:老舗のヒロセムセン、シントクが閉店し、秋葉原の集客力の低下がピークとなる
 平成6(1994)年
世相:秋葉原電気街の売上がパソコン関係が、家電関係を上回り(帝国データバンク調べ)、パソコン街へと大きく変容
 平成7(1995)年
世相:「Windows95」の発売日のお祭り騒ぎ。秋葉原は「マルチメディア最先端の街」として、再び秋葉原に脚光が集まる
 平成12(2000)年
世相:ITバブルの崩壊。パソコン部品を扱う専門店が並ぶ秋葉原にも少なからず及んだ。電化製品を中心に栄えてきた街は、この2000年を境に大きく変容する。
1990年代後半から、不振の電化製品販売に取って代わるように、秋葉原の街にはアニメやゲームマニア対象のソフトウェアを扱う店舗が増え始めた。もともとPC部品を買い求めて専門店に足繁く通っていた「オタク」と呼ばれるパソコン愛好家が、ゲーム、アニメ、フィギュアに興味の対象を広げていったことから、そうした需要に応える形で店の様相が変化、メイド喫茶なども数多く登場した
 平成15(2003)年4月
代表取締役 成田和隆 就任
 平成16(2004)年
世相:インターネットの電子掲示板「2ちゃんねる」への書き込みから生まれた「電車男」がブーム。オタク文化が一部のマニアのものから次第に一般化・大衆化し、その中で秋葉原もまた、徐々にコンテンツ産業の中心地として注目を集めていく。「アキバ系」という言葉が登場するのもこの時期であり、以降、秋葉原はポップカルチャーの発信地として世界的に知られるようになっていく
 平成17(2005)年
世相:秋葉原ダイビル竣工。つくばエクスプレスが開通
 平成18(2006)年7月
有限会社ナリタから、株式会社 パーツランドへ社名変更
 平成18(2006)年
世相:秋葉原UDX竣工。アキハバラデパートが閉店
 平成19(2007)年3月
ネットショップのオープン(http://www.parts-land.jp/)
 平成20(2008)年6月
世相:無差別殺傷事件が発生。これを機に歩行者天国が中止された
 平成22(2010)年
世相:アキハバラデパート跡地に駅併設型デパート「アトレ秋葉原1」がオープン、このエリア初出店の39店舗を含む46店舗が展開するなど、秋葉原の表玄関・電気街口は、その容貌を一変させた。昭和レトロな趣は姿を消し、新しい秋葉原の顔が、そこに誕生した
 平成23(2011)年1月
世相:中止されていた歩行者天国が試験的に復活、1973年からの歴史のある行事が再開されることで、秋葉原は新たな一歩を踏み出した
 平成25(2013)年12月
秋葉原ラジオストアー閉館のため、東京ラジオデパートへ実店舗を移転
 平成26(2014)年1月
ネットショップのリニューアル(http://www.parts-land.jp/)
会社ホームページの制作(http://parts-land.net/)